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このサボテンで殴られると、

結構痛いです !!

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心。

 

著者 稲盛和夫

出版社 サンマーク出版

出版日 2019/6/20

本文を機械音声にて、読み上げてくれます。これを聞きながら文書を読むと頭に入りやすいと思います。

textalkArtist Name
00:00 / 14:10

稲盛 和夫さん著、「心」(人生を意のままにする力) サンマーク出版 についてです。

内容が濃すぎるので、今回は「001 プロローグ」についての内容です。

 

 

 

 

 

 


私は、この本を読んだときに感じた事は、まるで砂漠の砂の上にコップに入っている水をこぼし、その水が砂漠の砂に吸い込まれている様を見ているような感覚にとらわれました。

 

 

 

 



今までに、ぼやっと私の心の中で感じていた事を、具体的に言語化出来た書物に出会ったそんな感じでした。



稲盛和夫さんは、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、京セラの創業者で、日本の経営者の第一人者と言ってよい方で当時経営破綻した日本航空(JAL)を立て直した方として、有名です。


その稲盛さんが、今までの80余年の人生を振り返った時、そして半世紀を超える経営者としての歩みを思い起こす時、今多くの人達に伝え残して行きたいのは、概ね一つの事しか有りません。


それは、「心が全てを決めている」と言うことだと言っています。
人生で起こって来るあらゆる出来事は、自らの心が引き寄せたものです。と稲盛さんは言っています。

 

 

 

 

 

 

 


その事に気づくきっかけになった出来事について、当時の稲盛少年のエピソードからお話します。
小学生の頃、肺結核の初期症状である肺浸潤にかかって、闘病生活を余儀なくされた事で、なるほどと思ったそうです。


稲盛少年が住んでいた鹿児島の実家では、叔父2人、叔母1人が結核で亡くなる まるで、結核に魅入られたような家でした。


稲盛少年は、感染を恐れる余り当時結核にかかって寝込んでいた、叔父の離れの部屋の前を通る時は、鼻をつまんで走り抜けて行ったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 


誰でも、感染したくないですからね。


そんな状況の時に、稲盛少年の父親は肉親を世話するのは自分しかいないと覚悟を決めて、感染する事などまったく恐れず、とても献身的に看病をされていたそうです。


そして、稲盛少年のお兄さんもまた、そんなに容易く移るものでは無いと、まったく気にもとめていなかったそうです。


お父さんも、お兄さんも結核をさほど気にしていなかったそうです。結核に感染したらどうしようと、思っていたそんな中、稲盛少年だけが感染してしまったそうです。


これは、まるで引き寄せの法則そのものだなと感じました。


良くも、悪くもその人が強く信じた事が現実となって、その人の前に現れる事です。(その人が、信じたものは当の本人も自覚出来ていない場合も多いです)


小学生だった当時の稲盛少年は、ヒタヒタと迫り来る死の恐怖に怯えながら日々を過ごすしかなかったそうです。


そんな稲盛少年を見かねた近所の叔母さんが、一冊の本を貸してくれたそうです。

 

 

 

 

 

 

 



その本には、およそ次のような事が書かれていました。



「いかなる災難も、それを引き寄せる心が有るからこそ、起こって来る。」


「自分の心が呼ばないものは、何一つ近づいて来る事は無い。」と


それを読んだ稲盛少年は、あー確かにそうだ !と思ったそうです。


病気を恐れず懸命に看病をしていた、父親は感染せず、また、病気など気にせず平然と生活していたお兄さんも感染しなかった。


病を恐れ、忌み嫌い避けようとしていた私だけが、病気を呼び寄せてしまったのだ。


これは、それこそ引き寄せの法則そのものですね。


何か、気になる事が有るとその事をよく考えてしまう。そして、気持ちが落ち込む。それで更に考えてまた落ち込む。


そんな経験ありませんか ? 私は、よく有りますね。


そんな事を繰り返していると、いつかこれが現実となって私の前に現れて来ます。


もうどれくらい経験しているのか分からないくらい、経験したのでそれからぼちぼち卒業しようと思っている今日です。



稲盛少年も、この時に貴重な経験が出来たわけです。しかし、当時は年端もいかない子供の頃なので、その意味するところを十分に理解するまで至らなかったと本人の稲盛さんは、当時を振り返って語っています。それによって人生が大きく変わるような事もありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 



その後、少年期から社会に出るまでの稲盛和夫さんの人生は、挫折と苦悩、失意の連続でした。


中学受験には2度も失敗し、大学受験をしても希望の大学に入れず、続く就職試験も思うようにならない。


何故、自分ばかりがうまくいかないのか !?


何をやっても、ダメに違いない !!



と失望して打ちひしがれ、暗い気持ちで日々をおくるばかりだったと語っています。


確かに、私の人生を振り返っても思い通りにならない事が多く、イライラしたり、落ち込んだりしていました。話は反れてしまいすみませんが、私が中学生だった頃の家庭環境は、最悪でした。


学校が終わって帰るのですが、私は直ぐに自宅に帰りたくなかったので、頻繁に友達の家に行って時間をつぶしていました。


本来なら、家と言うものはその人の安らぎを与える空間だと思うのですが、その当時はまったく、そんな感じではありませんでしたね。


そして、あるのは怒りと悲しみだけでした。


このような境遇にあると、どうしても人生の進む方向が反れてしまうようで、中学生だった私は気に入らない事が有ると、ところかまわず喧嘩をしていました。感情が抑えられなかったのだと思います。


今、ふと思い出したのですが中学生だった頃、授業が終わって3人の男子中学生が帰路についている時に、何が原因だったか忘れましたが、クラスメイトと口論になりました。

 

 

 

 

 

 



私は、相手にするのもばかばかしかったので、無視して先を歩いて帰っていると、突然足に激痛が走りました。


何だ !!? と思って振り返ると、そのクラスメイトが鉢植えのサボテンを手に持ってニヤニヤしていました。ちなみにそいつをA君とします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


何と、私はそのサボテンで殴られたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


普通、サボテンと言う植物は観賞用として有るものだと私は思っていたのですが、まさか人を殴る為にあるものだとは思もいもしませんでした。


その想像をはるかに超えたクラスメイトの行動によって、私は度肝を抜かれましたが、同時に怒りも急に込み上げて来ました。


そいつは、中学生でありながら身長が180 cm 位有った大柄の体格でしたが、こちらは切れてしまっていたので、その相手を押し倒して、馬乗りになって相手の顔面目掛けて、パンチをしようとしたところで、もう一人のクラスメイトに止められました。ちなみに彼をB君とします。



声には出しませんでしたが、どうせ止めるのなら、A君が鉢植えのサボテンで私を打とうとした時に、止めて欲しかったと切に思いました。
何か、不完全燃焼でしたが気持ちを切り返して帰って行きました。しかし、歩きながら足がズキズキ痛むのは参りました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


家に帰って、足を見てみるとサボテンのトゲが10本位しっかり刺さっていました。また、そのトゲを1本1本抜くのも目から涙が出しながら抜いていました。


多分ですが、中学生だった私は日常の生活の中で荒れていたのだと思います。だから、このような事態を引き起こしたのだと大人になって思いました。


とても不思議なのですが、中学の修学旅行はその当時は京都でした。


班ごとに行動するようになっていたのですけれど、私と同じ班にA君も入っていました。まじかよー!!!!!って感じでしたね。


よりにもよって、って感じでした。気まずかったです。


しかし、昼食だか夕食だか忘れましたが食事の時に、私のとなりにA君が座りました。


そして、向こうから鉢植えのサボテンで私を打った事を謝罪してくれました。


私「あの鉢植えのサボテンの針、無茶苦茶痛かったぜ、バカヤロー」


A君「ごめん、ごめん。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



A君と完全に和解しました。彼は、社会人になってその当時私が勤めていた会社の取引会社で働いていたのですが、趣味でバンドをしていました。
ライブをやるらしいので、B君といっしょにライブを見に行った事もありましたね !


ちなみに、喧嘩を止めてくれたクラスメイトB君は、今でも付き合いがあります。と言っても会っているわけではありませんが、私がFacebookに画像とか動画をアップすると、直ぐに「いいね!」をくれます。親友ですね !



ところで、そんなその当時の私でしたが、ある出来事がきっかけで、喧嘩をしなくなりました。


それは、休み時間に他のクラスメイトがふざけて、シャドウボクシングを私に向かってして来たのですが、そのクラスメイトの事をC君とします。


最初のうちは軽く触れる程度にパンチをして来ました。しかし、それを繰り返しているうちに段々そいつは本気になって来て、パンチの力が強くなってきました。


私をサンドバックに見立てているのでしょう !


本当に痛かったので、やめてくれと何度も言ったのですが相手はやめませんでした。


それで、私は切れてしまいました。



こん身の力で、相手を投げ飛ばしてしまいました。


たまたまその光景を見ていたクラスメイトが、投げ飛ばされたやつの体が宙に浮いたといっていました。


肩から落ちていって、しばらく相手が動かなくなってしまったので、慌ててそいつを担いで医務室に連れていきました。


その医務室にどういう分けか、生徒会長がいたのですが、私を見た途端に「また、お前か ?!」と言われました。


私は、生徒会長の顔は知っているのですが、話などもしたことがないのに。


そこで、初めて私自身の評判を知りました。とても、評判がよろしくなかったみたいでした。


それが、私はとてもショックでした。それ以来二度と喧嘩はするものかと心に決めるのでした。
ちなみに、C君はそれ以降私に対して、シャドウボクシングはしなくなりました。


大幅に話が反れてしまい、すみませんでした。まるで車で下田に向かうつもりで出発したら着いたのが箱根だったと言うような感じですね。

おバカな話ですが、私の実話です。⇒補足をさせていただくと、最近の話ではなく、まだカーナビが無かった頃の話だと言うことを強調したいです。!!



また、本編に戻って来ました-------------------


稲盛さんは、今まで不運な人生から大きな転機を迎える事になりました。


不況による就職難の時期に、学校の先生の紹介で京都の碍子メーカーにやっと就職する事が出来た稲盛さんでしたが、ふたを開けてみれば、銀行の管理下に有る会社で経営者の親族同士が争っている、かなりやばい会社だったそうです。


この段階で、またしてもって感じがして来ます。


同期で入社した仲間は、一人、二人と辞めて行き、とうとう稲盛さん一人になってしまったそうです。やめる時期を逃したのでしょうか ?


そんな時に稲盛さんは、逃げ場が無くなった私はそれならばと心を入れ替えたそうです。

今までが、普通にやっていても、ろくな事にならなかったわけです。



この時の稲盛さんの心境を考えると、きっと稲盛さんも逃げ出したい気持ちになっていたはずなのに、心機一転として気持ちを入れ替えたところに凄さを感じます。


都合の悪い出来事に遭遇すると、見て見ぬふりをしてそこから逃げ出しても、逃げ出したところにまた都合の悪い出来事が、形を変えて追っかけて来る。何かゲームといっしょで、ゲームをクリアしないと次のステージには進めないようです。だから、クリア出来るまでやり直しをさせられるのだと思いました。


であれば、それに向かっていこうぞと.......

こんな経験は、皆様もいろいろとされているのではないでしょうか ?!



そのゲームをクリア出来て、次のステージに進めた時の感動は忘れがたいものが有ります。生きていて良かったと思えるのです。
気持ちを入れ替えた稲盛さんは、正にそれが転機となって新たな人生を歩んで行くことになります。


それからの稲盛さんは、仕事に没頭して行き研究に明け暮れ、会社に泊まり込む事が頻繁にあったそうです。そして、ついにその当時先駆的な独自のファインセラミックス材料の合成に成功するのでした。



決して、能力が向上した分けでも、素晴らしい環境が与えられた分けでも無かったと稲盛さんは、語っています。


ただ、考え方を改め心の有り様を変えただけです と .......


少年の時に、つかんだ法則をこの時に改めて実感するのでした。★


 

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